RS-C2-04歴史総合・世界史探究 対策問題

歴史総合C 国際秩序の変化や大衆化と私たち(2) 第一次世界大戦と大衆社会

ワシントン会議(1921〜22年)で決められた内容として最も適切なものはどれか。

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正解: 1

正解

主力艦の保有比率の制限や、中国の主権尊重・門戸開放が取り決められ、日英同盟は終了した

この問題のポイント

ワシントン会議の取り決めを問う問題。海軍軍縮条約・四カ国条約(日英同盟終了)・九カ国条約(中国の主権尊重)の3点セットで解ける。

解説

第一次世界大戦後、太平洋・東アジアでの日本の膨張とアメリカとの建艦競争が新たな緊張を生んでいた。アメリカの提唱で開かれたのがワシントン会議(1921〜22年)である。
結ばれた条約は3つ。

  • 海軍軍備制限条約:主力艦の保有比率を米5・英5・日3・仏1.67・伊1.67に制限
  • 四カ国条約:太平洋の現状維持を約束。これにより日英同盟は終了した
  • 九カ国条約中国の主権尊重・門戸開放を確認。石井・ランシング協定は廃棄
    この国際協調の枠組みをワシントン体制と呼ぶ。日本は幣原喜重郎外相のもとで協調外交を進めるが、軍縮への軍部の不満と、満州権益をめぐる矛盾が1930年代の体制崩壊の火種となる。

ひっかけポイント
日英同盟は「締結」ではなく四カ国条約で「終了」した、という向きの取り違えが最頻出。主力艦比率5・5・3の数字と対象(主力艦)も正確に。

選択肢の確認

①「主力艦の保有比率の制限や、中国の主権尊重・門戸開放が取り決められ、日英同盟は終了した」
正しい。
ワシントン会議では海軍軍備制限条約、四カ国条約、九カ国条約が結ばれた。主力艦比率、日英同盟終了、中国の主権尊重・門戸開放という三つの対応が識別点である。

②「日本の国際連盟脱退が決定された」
誤り。
日本が国際連盟脱退を通告したのは満州事変後の1933年であり、1921〜22年のワシントン会議ではない。国際協調形成期とその崩壊期を混同している。

③「日英同盟が新たに締結された」
誤り。
日英同盟は新たに結ばれたのではなく、米英仏日による四カ国条約に置き換えられて終了した。二国間同盟から多国間協調へ移った点が重要である。

④「ドイツへの賠償額が決定された」
誤り。
ドイツの賠償問題を扱った中心はパリ講和会議・ヴェルサイユ条約や、その後のドーズ案などである。ワシントン会議の主要議題は海軍軍縮と東アジア・太平洋秩序だった。

覚えるポイント

  • ワシントン会議は1921〜22年
  • 主力艦比率は米英5・日3
  • 四カ国条約で日英同盟終了、九カ国条約で中国の主権尊重

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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