RS-D3-04|歴史総合・世界史探究 対策問題
湾岸戦争(1991年)が日本の国際貢献のあり方に与えた影響として最も適切なものはどれか。
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正解: 3
正解
多額の資金支援を行ったが人的貢献への批判を受け、翌年PKO協力法が成立して自衛隊がカンボジアへ派遣された
この問題のポイント
湾岸戦争が日本の国際貢献論に与えた影響を問う問題。資金支援への批判からPKO協力法が成立し、自衛隊がカンボジアへ派遣された流れで解ける。
解説
1990年8月、イラクのフセイン政権が隣国クウェートに侵攻した。国連安保理の武力容認決議に基づき、1991年1月、米軍中心の多国籍軍がイラクを攻撃し、短期間でクウェートを解放した。これが湾岸戦争である。
日本は憲法上の制約から兵力を出さず、総額130億ドルの資金支援を行った。しかし「カネは出すがヒトは出さない」と国際的な批判を浴び、クウェートの感謝広告に日本の名がなかったことも国内に衝撃を与えた。
この経験から国際貢献のあり方が議論となり、1992年にPKO協力法(国連平和維持活動協力法)が成立。同年、カンボジアの国連平和維持活動へ自衛隊が初めて本格派遣された。
冷戦後の日本の役割をめぐる転換点として、憲法9条との関係とともに問われ続けるテーマである。
ひっかけポイント
自衛隊は湾岸戦争の多国籍軍には参加していない(戦後に掃海艇派遣、PKO派遣は1992年のカンボジアから)。資金支援の有無を否定する選択肢も誤り。
選択肢の確認
①「日本は湾岸戦争に対して資金・人員とも一切関与しなかった」
❌ 誤り。
日本は資金面で巨額の支援を行っており、「資金も人員も一切関与しなかった」は誤りである。むしろ資金中心だったため人的貢献をめぐる議論が生じた。
②「この戦争を機に日米安全保障条約が廃棄された」
❌ 誤り。
湾岸戦争後も日米安全保障条約は存続し、廃棄されていない。争点となったのは冷戦後の国際貢献と自衛隊海外派遣の法的枠組みである。
③「多額の資金支援を行ったが人的貢献への批判を受け、翌年PKO協力法が成立して自衛隊がカンボジアへ派遣された」
✅ 正しい。
日本は湾岸戦争で約130億ドルの資金支援をしたが、人的貢献が乏しいとの批判を受けた。1992年にPKO協力法が成立し、同年からカンボジアへ自衛隊などが派遣された。
④「自衛隊が多国籍軍の一員として戦闘に参加した」
❌ 誤り。
自衛隊は湾岸戦争の多国籍軍に参加して戦闘を行っていない。停戦後に海上自衛隊が機雷除去へ派遣されたこととも、多国籍軍としての戦闘参加は区別する。
覚えるポイント
- 湾岸戦争は1991年、日本は130億ドル支援
- 人的貢献への批判→1992年PKO協力法
- 初の本格的PKO派遣先はカンボジア
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 因果の向きを確認:時期が近いだけで結び付けず、「原因→政策・行動→結果」の順に置き、主体と目的がつながるかを確かめる。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。