RS2-016歴史総合・世界史探究 対策問題

歴史総合B 近代化と私たち(3) 国民国家と明治維新

1880年代初めに結成された政党とその中心人物の組合せとして正しいものはどれか。

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正解: 2

正解

自由党=板垣退助/立憲改進党=大隈重信

この問題のポイント

1880年代初めの政党と中心人物の組合せ問題。自由党=板垣退助、立憲改進党=大隈重信という基本の対応で解ける。

解説

1881年、開拓使官有物払下げ事件への批判が高まる中、政府は国会開設の勅諭を出し、1890年の国会開設を公約した(明治十四年の政変)。
これを受けて、国会に備える政党が結成される。

  • 自由党(1881年):総理は板垣退助フランス流の急進的な自由主義を掲げ、地方の農村・士族に基盤を持った
  • 立憲改進党(1882年):総理は大隈重信イギリス流の議院内閣制を理想とする漸進主義で、都市の実業家・知識人に基盤を持った
    政府側も福地源一郎らに立憲帝政党を作らせて対抗した。
    自由党系は激化事件(秩父事件など)を経て一時解党するが、両党の系譜は帝国議会の民党として復活し、日本の政党政治の源流となる。

ひっかけポイント
板垣と大隈の入れ替えが最頻出。「自由党=フランス流・農村基盤」「改進党=イギリス流・都市基盤」という思想・基盤の対比までセットで覚えると崩れない。

選択肢の確認

①「自由党=原敬/立憲改進党=犬養毅」
誤り。
原敬・犬養毅は後に政党政治を担ったが、1880年代初めの両党創設者ではない。原は立憲政友会、犬養は立憲改進党系の後継政党で活動した。

②「自由党=板垣退助/立憲改進党=大隈重信」
正しい。
1881年に板垣退助を中心に自由党、1882年に大隈重信を中心に立憲改進党が結成された。前者はフランス流、後者はイギリス流の政治思想を重視した。

③「自由党=大隈重信/立憲改進党=板垣退助」
誤り。
人物対応が逆である。自由党は板垣退助、立憲改進党は大隈重信を中心として成立した。

④「自由党=伊藤博文/立憲改進党=山県有朋」
誤り。
伊藤博文・山県有朋は明治政府中枢の藩閥政治家で、自由民権政党の創設者ではない。伊藤は後に立憲政友会を結成した。

覚えるポイント

  • 自由党1881年=板垣退助・フランス流
  • 立憲改進党1882年=大隈重信・イギリス流
  • 契機は1881年国会開設の勅諭

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 文を分解して判定:組合せを一度に選ばず、人物と政策、地域と制度などを一組ずつ○×判定する。確実に誤る一組を含む選択肢から消す。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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