RS2-017|歴史総合・世界史探究 対策問題
帝国議会が開かれた当初(初期議会)の政治状況として最も適切なものはどれか。
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正解: 1
正解
政府は超然主義を唱え、民党は「政費節減・民力休養」を掲げて予算をめぐり対立した
この問題のポイント
初期議会の政治状況を問う問題。超然主義の政府と「政費節減・民力休養」を掲げる民党の予算をめぐる対立、という構図で解ける。
解説
1890年、第1回帝国議会が開かれた。政府(藩閥内閣)は、内閣は政党の意向に左右されないという超然主義を掲げていた。黒田清隆首相が憲法発布直後に表明した立場である。
ところが第1回総選挙では、自由党・立憲改進党の流れをくむ民党が衆議院の過半数を占めた。民党は「政費節減・民力休養」、つまり行政費を削って地租を軽減せよと主張し、軍拡予算を求める政府と真っ向から衝突した。
衆議院には予算審議権があったため、政府は予算を通すために解散・選挙干渉(第2回総選挙)まで行ったが、対立は解消しなかった。
この対立構図は日清戦争(1894年)を機に一変し、戦後は政府と政党の提携が進む。伊藤博文自らが立憲政友会を結成(1900年)する流れまでが射程である。
ひっかけポイント
民党の主張は「軍拡」ではなく地租軽減(民力休養)で、政府の軍拡予算と対立した。政党内閣の成立は初期議会段階ではなく、ずっと後の話である。
選択肢の確認
①「政府は超然主義を唱え、民党は「政費節減・民力休養」を掲げて予算をめぐり対立した」
✅ 正しい。
政府は政党の意向から超然とする姿勢を掲げ、民党は政費節減・民力休養を唱えて軍事費を含む予算削減を求めた。初期議会の政府対民党の対立軸である。
②「政党が最初から内閣を組織していた」
❌ 誤り。
帝国議会開設当初は藩閥官僚が内閣を組織し、衆議院多数党による政党内閣ではなかった。本格的政党内閣は1918年の原敬内閣である。
③「議会は政府の提案をすべて無修正で可決した」
❌ 誤り。
民党は予算案を削減するなど政府と激しく対立し、提案を全て無修正で通していない。政府は議会を解散することもあった。
④「民党は軍備拡張を最優先に主張した」
❌ 誤り。
軍備拡張を進めたのは主に政府側で、民党は地租軽減につながる政費節減・民力休養を掲げた。最優先政策の対応が逆である。
覚えるポイント
- 政府は超然主義(黒田清隆の表明)
- 民党は政費節減・民力休養=地租軽減を主張
- 日清戦争後は政府と政党の提携へ転換
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。