RS2-029|歴史総合・世界史探究 対策問題
1920年代の幣原喜重郎の外交方針として最も適切なものはどれか。
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正解: 2
正解
ワシントン体制の下で英米との協調と中国内政への不干渉を基本とした
この問題のポイント
幣原外交の方針を問う問題。ワシントン体制下での英米協調と中国内政不干渉という、1920年代の協調外交の基本で解ける。
解説
幣原喜重郎は、1920年代に憲政会(立憲民政党)系内閣の外相を務め、その外交方針は幣原外交と呼ばれる。
柱は3つある。
- 英米との協調:ワシントン体制の枠組みを尊重し、軍縮に協力する
- 中国内政への不干渉:北伐など中国の内戦に武力介入しない
- 経済外交:武力ではなく貿易の拡大で国益を図る
この路線は国際的信頼を得たが、軍部や野党からは「軟弱外交」と攻撃された。対照的なのが田中義一内閣(政友会)の積極外交で、山東出兵(1927〜28年)など武力干渉に踏み切った。
1920年代の日本外交は「協調(幣原)と強硬(田中)の振り子」として整理できる。1931年の満州事変で協調路線は最終的に崩壊し、幣原は戦後、首相として憲法改正に関わることになる。
ひっかけポイント
幣原(協調・不干渉)と田中義一(山東出兵・強硬)の対比の入れ替えが定番。連盟脱退の主張や満州占領の推進は幣原外交と正反対である。
選択肢の確認
①「日英同盟の復活を最優先課題とした」
❌ 誤り。
日英同盟はワシントン会議の四カ国条約成立により1923年に失効し、幣原は復活より英米双方との協調を重視した。
②「ワシントン体制の下で英米との協調と中国内政への不干渉を基本とした」
✅ 正しい。
幣原喜重郎はワシントン体制を尊重し、英米協調、中国内政不干渉、経済進出を基本とした。田中義一の山東出兵など強硬外交との対比が重要である。
③「満州の軍事占領を積極的に進めた」
❌ 誤り。
満州の軍事占領は1931年の満州事変以後に関東軍が進め、幣原の不干渉・協調外交と反対である。幣原は軍事行動の拡大を抑えようとした。
④「国際連盟からの即時脱退を主張した」
❌ 誤り。
日本の国際連盟脱退通告は1933年、満州事変後の出来事である。1920年代の幣原外交は連盟・ワシントン体制内での協調を重視した。
覚えるポイント
- 幣原外交=英米協調・中国内政不干渉・経済外交
- 対照は田中義一内閣の山東出兵(1927〜28年)
- 満州事変(1931年)で協調外交は崩壊
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。