RS2-032|歴史総合・世界史探究 対策問題
大正〜昭和初期の映画(活動写真)について述べた記述として最も適切なものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 4
正解
安価な大衆娯楽として都市で人気を集め、ラジオや雑誌と並ぶ大衆文化の柱となった
この問題のポイント
大正〜昭和初期の映画を問う問題。安価な大衆娯楽として都市で人気を集め、大衆文化の柱となったという位置づけで解ける。
解説
映画は明治末に活動写真として日本に入り、大正期には常設の映画館が都市に立ち並ぶ大衆娯楽の王座となった。
初期の映画は音声のない無声映画で、スクリーンの傍らで弁士が語りと解説を付けた。弁士は人気商売で、スターも生まれた。1930年代には音声付きのトーキーへ移行していく。
入場料が安く、文字が読めなくても楽しめる映画は、労働者から子どもまでを引き付けた。ラジオ(1925年放送開始)、1冊1円の円本、大衆雑誌『キング』と並んで、映画は都市大衆文化の柱だったのである。
担い手は俸給生活者(サラリーマン)や職業婦人といった都市の新中間層である。こうしたメディアの発達が共通の流行と世論を生み、普通選挙時代の大衆社会を支えた。
ひっかけポイント
「華族限定」「映画館が存在しない」「全面禁止」は大衆娯楽という性格と正反対。無声映画+弁士→トーキーという技術の変化も小問で問われる。
選択肢の確認
①「映画の観覧は華族に限定されていた」
❌ 誤り。
映画は入場料を払う一般大衆向けに上映され、華族だけの娯楽ではなかった。都市化と俸給生活者の増加が市場を広げた。
②「戦前の日本では映画館は存在しなかった」
❌ 誤り。
常設映画館は明治末から存在し、大正〜昭和初期には各都市へ広がった。戦前に映画館がなかったという説明は大衆文化の実態と反する。
③「映画は教育目的でのみ上映が許された」
❌ 誤り。
教育映画もあったが、劇映画・時代劇・喜劇など商業娯楽として広く上映された。教育目的だけに許可された媒体ではない。
④「安価な大衆娯楽として都市で人気を集め、ラジオや雑誌と並ぶ大衆文化の柱となった」
✅ 正しい。
活動写真は安価な娯楽として都市の映画館へ大衆を集め、弁士付き無声映画からトーキーへ発展した。ラジオ・円本・雑誌と並ぶ大衆文化となった。
覚えるポイント
- 映画(活動写真)は大正期の大衆娯楽の中心
- 無声映画は弁士が語り、のちトーキーへ
- ラジオ・円本・雑誌キングと並ぶ大衆文化の柱
共通テスト攻略
- 資料を先に観察:題名・年代・作成者・注記・凡例・単位を確認し、資料に直接示された事実と、知識から推測した内容を分ける。
- 既習事項と接続:資料中の固有名詞・制度・数量の変化を手掛かりに、同時代の政治・社会・対外関係へ結び付ける。資料にないことを印象だけで補わない。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。