RS3-013|歴史総合・世界史探究 対策問題
1874年に板垣退助らが政府に提出し、自由民権運動の出発点となった文書はどれか。
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正解: 4
正解
民撰議院設立建白書
この問題のポイント
自由民権運動の出発点となった文書=民撰議院設立建白書(1874年)を問う。征韓論政変で下野した板垣退助らの提出という経緯がポイント。
解説
1873年、西郷隆盛や板垣退助らが唱えた征韓論は、内治優先を主張する大久保利通らに退けられ、西郷・板垣らは政府を去った(明治六年の政変)。
下野した板垣退助・後藤象二郎らは翌1874年、民撰議院設立建白書を政府の左院に提出した。政治が少数の官僚に握られている(有司専制)と批判し、国民から選ばれた議員による議会の開設を求める内容である。建白書は新聞に掲載されて大きな反響を呼び、自由民権運動の出発点となった。
運動はその後、士族から豪農・商工業者層へと広がり、1880年に国会期成同盟が結成された。政府は1881年、国会開設の勅諭で10年後の国会開設を約束し、1890年に第一回帝国議会が開かれる。1874年から1890年までの流れを年代順に並べられるようにしておこう。
ひっかけポイント
五箇条の誓文(1868年・新政府の方針)、国会開設の勅諭(1881年・政府側の約束)、政体書(1868年)との混同に注意。建白書は「民間から政府への要求」である点が違い。
選択肢の確認
①「五箇条の誓文」
❌ 誤り。
五箇条の誓文は1868年に新政府の基本方針を示した文書で、板垣らが1874年に提出した建白書ではない。
②「国会開設の勅諭」
❌ 誤り。
国会開設の勅諭は明治十四年の政変後の1881年に政府が出し、1890年の国会開設を約束した。民権派の1874年文書より後である。
③「政体書」
❌ 誤り。
政体書は1868年に新政府の統治機構を定めた法令である。自由民権運動が提出した議会設立要求ではない。
④「民撰議院設立建白書」
✅ 正しい。
板垣退助・後藤象二郎らは1874年に民撰議院設立建白書を提出し、選挙で選ばれる議会の開設を求めた。愛国公党結成とともに自由民権運動の出発点となった。
覚えるポイント
- 民撰議院設立建白書は1874年、板垣退助らが左院に提出
- 有司専制を批判し国会開設を要求、自由民権運動の出発点
- 1880年国会期成同盟→1881年国会開設の勅諭→1890年帝国議会
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。