WT2-C13|歴史総合・世界史探究 対策問題
イギリスの名誉革命(1688〜89年)の結果として正しいものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 4
正解
権利章典が制定され、議会主権に基づく立憲王政が確立した
この問題のポイント
名誉革命の結果を問う問題。「1689年権利章典=議会主権の立憲王政」を、国王を処刑したピューリタン革命と区別できるかがポイント。
解説
17世紀のイギリスでは、国王と議会の対立が2度の革命を生んだ。1度目のピューリタン革命(1640年代)では国王チャールズ1世が処刑され、クロムウェルの共和政となったが、その死後に王政が復活した。
復活した王朝のジェームズ2世は、カトリックの復活と専制政治を進めたため議会と対立した。1688年、議会は国王の娘メアリとその夫でオランダ総督のウィレム(ウィリアム3世)を招き、ジェームズ2世は亡命した。ほとんど流血なく政権が交代したため、これを名誉革命と呼ぶ。
1689年、新国王夫妻は議会が起草した「権利の宣言」を承認し、これが権利章典として制定された。課税や立法には議会の同意が必要であることを明文化し、議会主権に基づく立憲王政が確立した。
思想家ロックは抵抗権(革命権)の理論でこの革命を正当化し、その思想はのちのアメリカ独立宣言にも影響を与えた。
ひっかけポイント
「国王処刑・共和政」はピューリタン革命(1649年)の内容で、名誉革命は無血・立憲王政という違いが最頻出の引っかけ。年号1688〜89年と1649年の入れ替えに注意。
選択肢の確認
①「国王が処刑され共和政が樹立された」
❌ 誤り。
国王の処刑と共和政の樹立は1649年のピューリタン革命での出来事であり、名誉革命は流血を伴わずに行われた。
②「カトリックが国教として復活した」
❌ 誤り。
名誉革命はカトリック化を進める国王を退けた出来事であり、カトリックの国教復活とは正反対である。
③「絶対王政が強化された」
❌ 誤り。
権利章典によって王権は議会の制約を受けるようになり、絶対王政の強化とは逆の結果になった。
④「権利章典が制定され、議会主権に基づく立憲王政が確立した」
✅ 正しい。
名誉革命で議会はジェームズ2世を退け、1689年の権利章典で課税や立法への議会の同意を明文化し、立憲王政の基礎を築いた。
覚えるポイント
- 名誉革命は1688〜89年、ジェームズ2世追放・ほぼ無血
- 1689年の権利章典で議会主権の立憲王政が確立
- ピューリタン革命=国王処刑・共和政、ロックの抵抗権が名誉革命を正当化
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 因果の向きを確認:時期が近いだけで結び付けず、「原因→政策・行動→結果」の順に置き、主体と目的がつながるかを確かめる。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。