WT4-A19|歴史総合・世界史探究 対策問題
1908年にオスマン帝国で起こった青年トルコ革命の結果として正しいものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 2
正解
停止されていたミドハト憲法が復活した
この問題のポイント
青年トルコ革命の結果を問う問題。「1908年=ミドハト憲法の復活」であり、帝国滅亡や共和政樹立(1920年代)と混同しないことがポイント。
解説
オスマン帝国では、1876年に制定されたアジア初の憲法とされるミドハト憲法が、スルタンのアブデュルハミト2世によって露土戦争を口実に停止され、約30年にわたる専制政治が続いていた。
これに不満を抱いたのが、西欧式教育を受けた青年将校や知識人たちである。彼らは「統一と進歩団」を組織し、憲法の復活を求めた。日露戦争で立憲国家の日本が専制のロシアを破ったことも、彼らの立憲運動を勇気づけたとされる。
1908年、マケドニア駐留軍の将校らが蜂起すると運動は一気に広がり、アブデュルハミト2世は屈服してミドハト憲法の復活と議会の再開を認めた。これが青年トルコ革命である。以後、統一と進歩団が政権を握り、帝国は第一次世界大戦へドイツ側で参戦していく。
注意すべきは、この革命では帝国もスルタン制も存続したことである。オスマン帝国の滅亡、スルタン制廃止(1922年)、トルコ共和国成立(1923年)、カリフ制廃止(1924年)は、いずれも大戦後のムスタファ・ケマルによる変革である。
ひっかけポイント
青年トルコ革命(1908年・憲法復活)とケマルのトルコ革命(1922〜24年・帝国滅亡・共和政・カリフ制廃止)の混同が最大の引っかけ。「何が起こった年か」を必ず区別する。
選択肢の確認
①「共和政が樹立された」
❌ 誤り。
共和政の樹立は1923年のトルコ共和国成立であり、1908年の革命は立憲君主政の回復にとどまった。
②「停止されていたミドハト憲法が復活した」
✅ 正しい。
正解。1908年の青年トルコ革命により、アブデュルハミト2世が停止していたミドハト憲法が約30年ぶりに復活した。
③「オスマン帝国が滅亡した」
❌ 誤り。
オスマン帝国が滅びるのは第一次世界大戦後で、1922年のスルタン制廃止による。1908年は帝国の枠内での立憲運動であった。
④「カリフ制が廃止された」
❌ 誤り。
カリフ制の廃止は1924年、トルコ共和国のムスタファ・ケマルによるものであり、青年トルコ革命とは時期が違う。
覚えるポイント
- 青年トルコ革命は1908年、統一と進歩団の蜂起
- 結果はミドハト憲法の復活(約30年ぶり)
- 帝国滅亡・共和政・カリフ制廃止は1922〜24年のケマルの改革
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 因果の向きを確認:時期が近いだけで結び付けず、「原因→政策・行動→結果」の順に置き、主体と目的がつながるかを確かめる。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。