WT4-A15歴史総合・世界史探究 対策問題

世界史探究D 諸地域の結合・変容(3) 帝国主義とナショナリズムの高揚

19世紀末のアフリカ分割について述べた文として正しいものはどれか。

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正解: 2

正解

ベルリン会議で分割の原則が定められ、20世紀初めまでにエチオピアとリベリア以外が植民地化された

この問題のポイント

アフリカ分割の全体像を問う問題。「ベルリン会議で分割原則→20世紀初めにエチオピアとリベリア以外が植民地化」という結論と例外2国を押さえる。

解説

19世紀末、列強はアフリカ大陸の分割競争に突入した。きっかけはベルギー王のコンゴ領有問題で、ビスマルクの主催によりベルリン会議(1884〜85年)が開かれ、最初に実効支配した国が領有できるという「実効支配(先占)の原則」が確認された。

以後、分割は猛スピードで進んだ。イギリスはカイロとケープタウンを結ぶ縦断政策フランスはサハラからジブチへ向かう横断政策をとり、両者は1898年にスーダンのファショダで衝突しかけた(ファショダ事件、仏の譲歩で回避)。

20世紀初めまでに、アフリカで独立を保ったのは2国だけになった。イタリアの侵入をアドワの戦い(1896年)で撃退したエチオピアと、アメリカの解放奴隷が建てたリベリアである。

分割の際、列強は民族や言語の分布を無視して経線・緯線などで機械的に国境を引いた。この人為的国境は独立後もそのまま残り、現代アフリカの民族紛争や国境問題の一因とされている。

ひっかけポイント
独立を維持した例外2国(エチオピア・リベリア)を問う出題が定番。またこのベルリン会議(1884〜85年・アフリカ分割)を、1878年のベルリン会議(バルカン問題)と混同しないこと。

選択肢の確認

①「イタリアはアフリカに関心を示さなかった」
誤り。
イタリアはエリトリアやソマリランドを領有し、エチオピアにも侵攻して1896年のアドワの戦いで敗れており、関心が薄かったわけではない。

②「ベルリン会議で分割の原則が定められ、20世紀初めまでにエチオピアとリベリア以外が植民地化された」
正しい。
正解。1884年から85年のベルリン会議で実効支配が分割の原則と定められ、20世紀初めにはエチオピアとリベリアを除く全土が植民地化された。

③「アフリカの大部分は独立を維持した」
誤り。
20世紀初めまでに独立を保ったのはエチオピアとリベリアのみで、大部分は列強の植民地となった。

④「分割はアフリカ諸国の合意に基づいて行われた」
誤り。
分割は列強どうしの会議と競争で進められたものでアフリカ側の合意に基づくものではなく、民族分布を無視した国境が引かれた。

覚えるポイント

  • ベルリン会議(1884〜85年)で実効支配の原則を確認
  • 独立維持はエチオピア(アドワの戦い1896年)とリベリアのみ
  • 英の縦断政策と仏の横断政策→ファショダ事件(1898年)

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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