WT4-E04|歴史総合・世界史探究 対策問題
1848年にヨーロッパ各地で起こった革命(諸国民の春)の説明として最も適切なものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 4
正解
フランスの二月革命をきっかけに自由主義・ナショナリズムの運動が各地に波及し、ウィーン体制は崩壊した
この問題のポイント
1848年の諸国民の春の全体像を問う問題。パリの二月革命が各地に波及し、ウィーン体制が崩壊した流れを押さえる。
解説
ウィーン体制は、自由主義とナショナリズムを抑え込む保守的な国際秩序だった。しかし1848年、その抑圧が一気に噴き出す。
まず2月、パリで二月革命が起こって七月王政が倒れ、第二共和政が成立した。この報が伝わると、3月にはウィーンとベルリンで三月革命が起こり、革命の波はヨーロッパ各地へ連鎖した。これを「諸国民の春」と呼ぶ。
ウィーンでは体制の要だったメッテルニヒが亡命し、ウィーン体制は崩壊した。
革命の多くは翌年までに鎮圧されたが、オーストリアの農奴解放など一部の成果は残り、自由主義と国民国家形成の流れは止められなくなった。
ひっかけポイント
「王政がすべて廃止された」「革命はフランス一国にとどまった」など範囲や結果を誇張・矮小化する選択肢に注意。メッテルニヒは革命を主導したのではなく追われた側である。
選択肢の確認
①「各国の王政がすべて廃止され、共和政が定着した」
❌ 誤り。
革命の多くは翌年までに鎮圧され、フランスでも第二共和政はナポレオン3世の第二帝政へ移った。王政が一斉に廃止されたわけではない。
②「革命はフランス一国にとどまった」
❌ 誤り。
革命はウィーン・ベルリン・ハンガリー・イタリアなど各地へ波及しており、フランス一国にとどまらなかった。
③「メッテルニヒが革命を主導した」
❌ 誤り。
メッテルニヒは革命を抑え込む側であるウィーン体制の主導者で、三月革命により失脚し亡命した。
④「フランスの二月革命をきっかけに自由主義・ナショナリズムの運動が各地に波及し、ウィーン体制は崩壊した」
✅ 正しい。
正解。1848年のパリ二月革命を機に、ウィーンやベルリンの三月革命など自由主義・ナショナリズムの運動が各地へ波及し、メッテルニヒは亡命してウィーン体制は崩壊した。
覚えるポイント
- 1848年、二月革命(パリ)→三月革命(ウィーン・ベルリン)
- メッテルニヒ亡命=ウィーン体制の崩壊
- 諸国民の春の多くは翌年までに鎮圧された
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。