WT6-I10|歴史総合・世界史探究 対策問題
1931年の満洲事変以後の国際関係について述べた文として正しいものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 1
正解
国際連盟はリットン調査団を派遣し、日本は勧告に反発して連盟を脱退した
この問題のポイント
満洲事変後の国際関係を問う問題。リットン調査団の派遣と、勧告に反発した日本の連盟脱退(1933年)の流れで解ける。
解説
1931年9月、関東軍は柳条湖で南満洲鉄道を爆破し、これを口実に軍事行動を拡大した(満洲事変)。翌1932年には満洲国を建国させた。
中国の提訴を受けた国際連盟は、リットン調査団を現地に派遣した。その報告に基づき、1933年2月の連盟総会は、満洲国を承認せず日本軍の撤兵を求める勧告を42対1(反対は日本のみ)で採択した。
日本はこれに反発して国際連盟からの脱退を通告した。同年にはドイツも連盟を脱退している。
1920年代に築かれた国際協調(ヴェルサイユ・ワシントン体制)は、日独という主要国の離脱によって崩壊へ向かった。
ひっかけポイント
連盟は日本の行動を「承認」しておらず、勧告採択は42対1だった点が急所。日独の連盟脱退が同じ1933年という同時代性は、歴史総合でも世界史でも最頻出。
選択肢の確認
①「国際連盟はリットン調査団を派遣し、日本は勧告に反発して連盟を脱退した」
✅ 正しい。
正解。満洲事変に対し国際連盟はリットン調査団を派遣し、1933年の総会で採択された勧告に反発した日本は連盟脱退を通告した。
②「国際連盟は日本の行動を全面的に承認した」
❌ 誤り。
連盟総会は満洲国不承認と日本軍の撤兵を求める勧告を圧倒的多数で採択しており、承認していない。
③「アメリカは満洲国を直ちに承認した」
❌ 誤り。
アメリカは満洲国を承認せず、スティムソン国務長官の名で不承認の方針を示した。
④「ソ連が満洲に共同出兵した」
❌ 誤り。
ソ連は満洲へ共同出兵しておらず、日ソが直接衝突するのは1939年のノモンハン事件などである。
覚えるポイント
- 満洲事変は1931年、満洲国建国は1932年
- リットン調査団の報告→総会勧告は42対1
- 日本の連盟脱退通告は1933年(独と同年)
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。