WT7-C08|歴史総合・世界史探究 対策問題
1956年にフルシチョフが行ったスターリン批判の影響として正しいものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 3
正解
ポーランドやハンガリーで自由化を求める動きが起こった
この問題のポイント
スターリン批判の影響を問う問題。ポーランド・ハンガリーの自由化運動と中ソ対立の始まり、という2方向の波及で解ける。
解説
1956年2月、ソ連のフルシチョフは共産党大会の秘密報告で、スターリンの個人崇拝と大粛清を暴露した(スターリン批判)。あわせて資本主義国との平和共存路線も打ち出した。
絶対視されてきた指導者の否定は、東側世界を激しく揺さぶった。
- ポーランド: ポズナニで労働者が蜂起(自主路線のゴムウカ政権で収拾)
- ハンガリー: 民衆蜂起の中でナジ政権がワルシャワ条約機構脱退を宣言。ソ連軍が軍事介入して鎮圧した(ハンガリー事件)
さらに中国の毛沢東はスターリン批判と平和共存路線に反発し、中ソ対立が始まった。「雪どけ」と武力介入が同居する矛盾も問われる。
ひっかけポイント
スターリン批判で中ソ関係は「強化」ではなく悪化へ向かった点が急所。ハンガリー事件(1956年)とプラハの春(1968年)の混同にも注意。
選択肢の確認
①「東欧諸国の統制がいっそう強化されただけだった」
❌ 誤り。
ハンガリー事件では武力介入が行われたが、批判は同時に東欧の自由化運動を呼び起こした。
②「中国がソ連との関係を強化した」
❌ 誤り。
スターリン批判はむしろ中ソ対立の始まりとなり、両国の関係は悪化していった。
③「ポーランドやハンガリーで自由化を求める動きが起こった」
✅ 正しい。
正解。1956年のスターリン批判は東欧に衝撃を与え、ポーランドのポズナニ暴動やハンガリーの自由化運動を引き起こした。
④「ソ連の体制がただちに崩壊した」
❌ 誤り。
ソ連の体制はこの後も存続し、崩壊するのは1991年である。
覚えるポイント
- スターリン批判は1956年、フルシチョフ
- ポーランド・ハンガリーで自由化運動、ハンガリーは武力鎮圧
- 批判を機に中ソ対立が始まる
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 因果の向きを確認:時期が近いだけで結び付けず、「原因→政策・行動→結果」の順に置き、主体と目的がつながるかを確かめる。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。