WT9-C03|歴史総合・世界史探究 対策問題
1990年代のユーゴスラヴィア解体に伴って起こった出来事として正しいものはどれか。
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正解: 2
正解
ボスニア内戦など、民族浄化を伴う激しい紛争が起こった
この問題のポイント
ユーゴスラヴィア解体に伴う紛争を問う。冷戦終結が平和をもたらさなかった代表例として、ボスニア内戦・コソヴォ紛争を押さえる。
解説
前提として、ユーゴスラヴィアは多くの民族・宗教・言語を抱える連邦国家で、カリスマ的指導者ティトーの下で独自の社会主義を営んでいた。
ティトーの死(1980年)後、経済危機の中で各共和国の民族主義が高まり、冷戦終結後の1991年、スロヴェニア・クロアチアの独立宣言から連邦は解体へ向かった。
- クロアチア内戦
- ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦(1992〜95年):セルビア人・クロアチア人・ムスリムの三つ巴で、特定民族の追放・殺害を意味する「民族浄化」の悲劇が起こった
- コソヴォ紛争(1999年):NATOが人道的介入として空爆を実施
旧ユーゴ国際刑事裁判所が戦争犯罪を個人の責任として裁いた点も、国際法の発展として重要である。
ひっかけポイント
冷戦終結=平和の到来と考えると誤る。むしろ冷戦の枠が外れて民族紛争が噴出した代表例。ソ連軍介入とする選択肢は時期的にもあり得ない。
選択肢の確認
①「紛争は一度も起こらなかった」
❌ 誤り。
ボスニア内戦やコソヴォ紛争など激しい紛争が実際に起こり、多数の犠牲者と難民が生じた。
②「ボスニア内戦など、民族浄化を伴う激しい紛争が起こった」
✅ 正しい。
ティトー死後の経済危機と民族主義の高まりで連邦は解体へ向かい、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦(1992年から95年)では民族浄化と呼ばれる惨劇が起き、1999年にはコソヴォ紛争も生じた。
③「すべての共和国が平和裏に分離した」
❌ 誤り。
クロアチアやボスニアでは激しい戦闘が続いており平和裏の分離ではない。話し合いによる平和的分離の例は1993年のチェコとスロヴァキアである。
④「ソ連軍の介入で連邦が維持された」
❌ 誤り。
ソ連は1991年に解体しており、ユーゴスラヴィアへ介入して連邦を維持した事実はない。
覚えるポイント
- ティトー死後に民族主義が台頭、1991年から解体
- ボスニア内戦(1992〜95年)で民族浄化
- コソヴォ紛争(1999年)でNATOが空爆
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。