WT9-E17|歴史総合・世界史探究 対策問題
清代の広州貿易(カントン・システム)の説明として正しいものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 3
正解
ヨーロッパ船との貿易を広州1港に限り、公行が独占的に取引した
この問題のポイント
清の広州貿易体制を問う。ヨーロッパ船は広州1港のみ、公行が取引を独占という管理貿易の仕組みが核心。
解説
前提として、清は明と同様、対外貿易を国家の管理下に置く方針をとり、ヨーロッパ船の来航が増えると統制を強めた。
1757年、乾隆帝はヨーロッパ船との貿易を広州1港に制限し、取引は特許商人の組合公行(コホン)に独占させた。関税もかかり、外国商人の行動は厳しく制限された。これが広州貿易体制(カントン・システム)である。
茶の輸入で対中赤字が膨らんだイギリスは、自由貿易を求めてマカートニー使節(1793年)らを派遣したが、乾隆帝は朝貢の論理で対等な通商関係を拒んだ。
この体制への不満が、イギリスのアヘン密貿易、そしてアヘン戦争(1840〜42年)の背景となる。南京条約での5港開港・公行廃止は、まさにこの体制の解体だった。日本の長崎出島との比較でも問われる。
ひっかけポイント
全港開放でも日本船限定でもなく、ヨーロッパ船は広州1港・公行独占という限定が核心。マカートニーと乾隆帝のすれ違い(対等通商対朝貢)は資料問題の定番。
選択肢の確認
①「貿易は日本船だけに許された」
❌ 誤り。
貿易を認められたのはヨーロッパ諸国の船などであり、日本船だけに限るという説明は日本の長崎貿易との混同である。
②「関税は一切課されなかった」
❌ 誤り。
実際には関税や各種の課徴金が課されており、一切課されなかったという説明は誤りである。
③「ヨーロッパ船との貿易を広州1港に限り、公行が独占的に取引した」
✅ 正しい。
清は1757年以降ヨーロッパ船との貿易を広州1港に限り、特許商人組合である公行に取引を独占させた。自由貿易を求めるイギリスの不満がアヘン密貿易とアヘン戦争の背景となった。
④「全ての港が外国船に開放されていた」
❌ 誤り。
多くの港が開かれるのはアヘン戦争後の南京条約(1842年)で5港が開港されて以降のことである。
覚えるポイント
- 1757年からヨーロッパ船は広州1港に限定
- 公行(コホン)が貿易を独占
- 不満がアヘン戦争の背景、南京条約で公行廃止
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。