JT3-B02|歴史総合・日本史探究 対策問題
1221年の承久の乱の結果として正しいものはどれか。
解答・解説を見る
正解: 3
正解
幕府が京都に六波羅探題を置き、朝廷への監視を強めた
背景・因果
後鳥羽上皇は1221年、北条義時追討の兵を挙げたが、東国武士は北条政子の呼びかけで結束し、幕府軍が圧勝した(承久の乱)。乱後、幕府は京都に六波羅探題を置いて朝廷を監視し、上皇方の所領3000余カ所に新補地頭を任命して、幕府の支配は西国へ大きく広がった。
覚えるポイント
「乱の結果、公武の力関係が幕府優位に逆転した」という画期性が核心。3上皇の配流(後鳥羽は隠岐)も頻出。
選択肢別の検討
① ❌ 誤答「幕府が滅亡し、建武の新政が始まった」
鎌倉幕府滅亡と建武の新政開始は1333〜34年で、承久の乱から一世紀以上後である。1221年には幕府支配が強化された。
② ❌ 誤答「北条氏が滅び、源氏将軍が復活した」
北条義時を中心とする幕府側が勝利し、北条氏は滅びていない。源氏将軍は1219年の源実朝暗殺で既に絶え、復活もしなかった。
③ ✅ 正解「幕府が京都に六波羅探題を置き、朝廷への監視を強めた」
承久の乱で幕府が後鳥羽上皇方に勝利すると、京都に六波羅探題を置き朝廷を監視した。上皇方の没収地へ新補地頭を置き、西国支配も拡大した。
④ ❌ 誤答「後鳥羽上皇が幕府を倒し、天皇親政が復活した」
後鳥羽上皇は敗れて隠岐へ流され、幕府優位の公武関係となった。天皇親政を復活させて幕府を倒したのではない。
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 因果の向きを確認:時期が近いだけで結び付けず、「原因→政策・行動→結果」の順に置き、主体と目的がつながるかを確かめる。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。