RS-B2-03歴史総合・世界史探究 対策問題

歴史総合B 近代化と私たち(2) 結び付く世界と日本の開国

開国後の日本経済に起こった変化として最も適切なものはどれか。

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正解: 3

正解

最大の輸出品となった生糸が品不足となり、国内の物価が上昇した

この問題のポイント

開国後の日本経済の変化を問う問題。生糸輸出の急増による品不足・物価上昇と、金銀比価の違いによる金貨流出という2大変化で解ける。

解説

1859年に横浜・長崎・箱館で貿易が始まると、日本の最大の輸出品は生糸となった(ほかに茶・蚕卵紙)。イギリス向けを中心に輸出が急増した結果、国内では生糸や関連物資が品不足となり、物価が上昇した。
もう一つの大問題が金貨の流出である。金と銀の交換比率が、日本では約1対5、外国では約1対15と大きく違った。外国人は銀を日本に持ち込んで金に替えるだけで大もうけでき、大量の金貨(小判)が海外へ流出した。
幕府は小判の質を落とす万延小判への改鋳で対応したが、貨幣価値の低下がさらなるインフレを招いた。
物価高は庶民の生活を直撃し、「貿易のせいで生活が苦しくなった」という不満が攘夷運動の社会的背景となった。

ひっかけポイント
金銀比価は「日本で金が割安」だったから金が流出した、という向きを正確に。最大の輸出品は生糸(綿糸ではない)という品目の区別も基本。

選択肢の確認

①「金銀の交換比率が外国と同じだったため、金貨の流出は起こらなかった」
誤り。
日本の金銀比価は約1対5、国際比価は約1対15で差があったため、外国商人による交換で金貨が流出した。同一比率だったという前提が誤りである。

②「貿易の中心は長崎で、横浜はほとんど使われなかった」
誤り。
開港後の最大の貿易港は横浜で、生糸輸出の中心となった。長崎も開港場だったが、貿易の中心が長崎だけで横浜が使われなかったわけではない。

③「最大の輸出品となった生糸が品不足となり、国内の物価が上昇した」
正しい。
開港後は生糸が最大の輸出品となり、海外向け買付けで国内供給が減って価格が上昇した。輸出増加が国内の品不足と物価高を招く因果が重要である。

④「輸入超過が続き、生糸の生産は衰退した」
誤り。
生糸輸出は開港後に拡大し、養蚕・製糸地域も発展したため、衰退という説明が逆である。開港当初には輸出超過の時期もあり、恒常的な輸入超過とはいえない。

覚えるポイント

  • 開港後の最大輸出品は生糸、横浜が中心
  • 金銀比価の差(1対5と1対15)で金貨が流出
  • 万延小判改鋳→インフレ→攘夷運動の背景

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 比較軸をそろえる:二つの時代・地域を、政治の担い手、土地・税制、対外関係、社会への影響など同じ軸で比べ、共通点と相違点を混同しない。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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