RS3-035|歴史総合・世界史探究 対策問題
日本が1933年に国際連盟からの脱退を通告した直接のきっかけはどれか。
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正解: 4
正解
リットン報告書に基づく勧告案が総会で採択されたこと
この問題のポイント
日本の国際連盟脱退の直接の理由を問う問題。リットン報告書に基づく勧告案の採択(1933年)が引き金である。
解説
満洲事変に対し、中国は国際連盟に提訴した。連盟はイギリスのリットンを団長とする調査団を現地へ派遣し、その報告書は、日本の権益にも一定の配慮を示しつつも、関東軍の行動を自衛とは認めず、満洲国を自発的な独立国家とは認めない内容だった。
1933年2月、連盟総会はリットン報告書に基づき、満洲国の不承認と日本軍の満鉄付属地内への撤兵を求める勧告案を、賛成42・反対1(反対は日本のみ)で採択した。日本全権の松岡洋右は演説の後、総会の議場から退場した。
これを受けて日本政府は1933年3月、国際連盟からの脱退を通告した(発効は2年後の1935年)。発足時からの常任理事国だった日本の脱退は、1920年代の国際協調(ワシントン体制・幣原外交)の時代から、1930年代の国際的孤立への転換を象徴する出来事である。
なお同じ1933年には、ヒトラー政権のドイツも連盟脱退を通告している。
ひっかけポイント
「満洲事変(1931年)→勧告案採択・脱退通告(1933年)」の2年のずれを突く整序問題に注意。ワシントン条約の失効や三国同盟は1930年代後半以降で時期が合わない。
選択肢の確認
①「ワシントン海軍軍縮条約が失効したこと」
❌ 誤り。
ワシントン海軍軍縮条約の廃棄通告は1934年で、国際連盟脱退の直接契機ではない。満州事変への連盟判断が原因だった。
②「日独伊三国同盟が成立したこと」
❌ 誤り。
日独伊三国同盟の成立は1940年で、1933年の国際連盟脱退より7年後である。
③「ノモンハン事件で敗北したこと」
❌ 誤り。
ノモンハン事件は1939年に日本・満州国軍とソ連・モンゴル軍が衝突した事件である。連盟脱退通告より6年後である。
④「リットン報告書に基づく勧告案が総会で採択されたこと」
✅ 正しい。
国際連盟総会がリットン報告書を踏まえ満州国を認めない勧告案を圧倒的多数で採択すると、松岡洋右代表は退場し日本は脱退を通告した。
覚えるポイント
- リットン報告書に基づく勧告案は1933年2月に42対1で採択
- 松岡洋右が総会退場、同年3月に脱退通告
- 同じ1933年にドイツ(ヒトラー政権)も連盟脱退を通告
共通テスト攻略
- 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
- 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。