RS3-046歴史総合・世界史探究 対策問題

歴史総合D グローバル化と私たち(3) 世界秩序の変容と日本

1972年の沖縄返還を実現した内閣と、その内閣が掲げた原則の組合せとして正しいものはどれか。

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正解: 2

正解

佐藤栄作内閣・非核三原則

この問題のポイント

沖縄返還を実現した内閣と原則の組合せ問題。佐藤栄作内閣と非核三原則のセットが正解である。

解説

サンフランシスコ平和条約(1951年)で日本は独立を回復したが、沖縄はアメリカの施政権下に置かれたままだった。ベトナム戦争ではアメリカ軍の出撃拠点となり、住民の祖国復帰運動が高まった。

佐藤栄作内閣は「沖縄の返還なくして戦後は終わらない」として返還交渉を進め、その過程で「核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず」という非核三原則を表明した(1971年に国会決議)。

1969年の佐藤・ニクソン会談で「核抜き・本土並み」の返還が合意され、1971年に沖縄返還協定が調印、1972年5月15日に沖縄の施政権が日本へ返還された。佐藤はこれらの功績により1974年にノーベル平和賞を受賞した。

ただし返還後も、在日アメリカ軍専用施設の約7割が沖縄に集中する状態が続き、基地問題は現代の課題として残っている。この「返還の達成と課題の残存」を資料から読み取らせる出題が共通テストらしい形式である。

ひっかけポイント
小笠原返還(1968年)と沖縄返還(1972年)の混同、また「田中角栄=日中国交正常化(1972年9月)」との同年の出来事の取り違えに注意。

選択肢の確認

①「池田勇人内閣・所得倍増」
誤り。
池田勇人内閣は所得倍増計画を進めたが1964年に退陣した。1972年の沖縄返還より前である。

②「佐藤栄作内閣・非核三原則」
正しい。
佐藤栄作内閣はアメリカと交渉して1972年の沖縄返還を実現し、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則を掲げた。

③「田中角栄内閣・日中国交正常化」
誤り。
田中角栄内閣は1972年9月に日中国交正常化を実現したが、沖縄返還は同年5月までの佐藤内閣の事績である。

④「岸信介内閣・安保改定」
誤り。
岸信介内閣は1960年に日米安保条約を改定した。沖縄返還時の内閣ではなく、非核三原則の提唱者でもない。

覚えるポイント

  • 沖縄返還は1972年5月、佐藤栄作内閣
  • 非核三原則=持たず・つくらず・持ち込ませず
  • 返還後も米軍基地の大部分は沖縄に残存

共通テスト攻略

  • 知識を関係で再現:用語を単独で思い出すだけでなく、「いつ・誰が・何のために・何を行い・何が変わったか」を一続きにして選択肢と照合する。
  • 文を分解して判定:組合せを一度に選ばず、人物と政策、地域と制度などを一組ずつ○×判定する。確実に誤る一組を含む選択肢から消す。
  • 消去の軸を固定:各選択肢を「時期・主体・目的・内容・結果」に分け、一か所でも歴史的対応がずれるものを消す。語句が一部合うだけで選ばない。

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